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東京地方裁判所 昭和35年(刑わ)4484号 判決 1961年12月27日

被告人 何水玉 外三名

主文

被告人等はいずれも無罪

理由

一、検察官の公訴事実は昭和三五年一〇月六日付起訴状記載の事実の通りであるからこれを引用する。

二、前掲起訴状第三の事実中尤石頭が摘示のような(但し右上膊とあるのは左上膊と訂正する)傷害を受けた事実は中島医師の当公廷における供述により認め得るところであるが、右傷害が摘示のように被告人石嘉福、同林正直等の犯行に因るものと認めるに足る証拠はない。それ故被告人林正直及びこの点に関する被告人石嘉福の公訴事実については犯罪の証明がないので無罪である。

三、起訴状摘示冒頭の事実及び第一、第二(但し傷害の部位中右胸首部を除く(この点についてはこれを認めるに足りる証拠がない。)の事実は被告人等の当公廷における供述、袁愛郎、医師中島尚の当公廷における各証言等により一応形式上これを認め得る。

しかし、弁護人及び被告人等は本件所為は正当行為、正当防衛、或いはいわゆる期待可能性のない行為として罪とならないと主張する。

よつて当裁判所において取調べた証拠に基き事案を検討するに、証人頼英樹、林一、劉兆禎、蔡文君、尤石頭、袁愛郎、文啓南、周順圭、遠藤進、宮内義之介、被告人何水玉、林伯貴、石嘉福等の当公廷における供述、検証結果、鑑定書及び押収にかかる寮規、長期宿泊願、入寮申込書、庖丁、衣類等によれば、本件発生にいたる経緯は次のようである。

即ち、東京都文京区茗荷谷町五四番地に所在する中国学生清華寮は台湾の留学生及び在日中国人の子弟が居住する学生寮であるが、同寮は居室約三二の外公室として食堂、文化ホール、ピンポンホール医務室炊事場等の設備を有し約五〇人位の学生が入寮生活し同寮は入寮者の自治のもとに管理運営せられて来た。同寮の自治は寮規により決議機関として寮生全員からなる寮生会及その執行機関として寮生会において投票により選出された四人の委員からなる自治委員会により管理運営せられ共同炊事が行われて来た。同寮の居住者には寮生の外一時的な滞在者として寮生を被宿泊者として宿泊を許される長期宿泊者と短期宿泊者が認められていたが寮生となるには寮生会において行われる入寮審査に合格しかつ入寮後には寮の集団生活を乱さず寮規に違反した場合には罰則に従う旨の誓約を差入れて寮生となる資格を取得することとなつていた。

昭和三三年三月頃までは同寮は右のような共同炊事のもとに寮生の自治により運営せられて来たところそのころ開かれた寮生会において寮生尤石頭等により同会で入寮審査を行うことが提案されたが当時寮生の多くが春の休暇で帰省ないし旅行中で出席者が少く入寮審査をすることは不適当であるとして右提案が否決され同会は散会したが右処置を不満とする寮生尤石頭等五名は共同炊事より脱退して自炊を始めるにいたり同寮内で共同炊事派と自炊派とが対立するようになつた。

袁愛郎同恵子の兄妹は昭和三四年五月頃寮生林一の紹介により宿泊者として入寮居住するようになつたがそのころ行われた寮生会の入寮審査で不合格となり更に昭和三五年一月行われた寮生会の入寮審査でも再度不合格となり同人等はそのころ同寮玄関左側の三畳を与えられ移転居住するようになつた。当時袁兄妹は袁愛郎の暴行事件等のため寮生間での評判が悪かつた。併し袁愛郎は右不合格は自分が台湾出身者であるためではないかと右決定に疑惑を持ち更に右居室が狭く勉学に不自由であることに甚だ不満の気持をいだくようになつた。当時寮内には前記のとおり共同炊事派と自炊派の対立があつたが自炊派は台湾出身者であつたため共同炊事派に反感を持つようになつた袁愛郎は自炊派に接近し尤石頭に依頼して同年四月頃一階の医務室に移転居住するにいたつた。併しこの医務室は従来公室として医療ないし集会等に使用され個人の居住を認められて居らなかつた。たゞ昭和三四年頃両派の部屋割の関係で一時自炊派の呉秋信の荷物を保管したことがあつた。袁愛郎が右医務室に居住するに至つた事実を知つた共同炊事派側は昭和三五年五月始め頃寮生会を開いてこの問題の対策を協議した結果袁愛郎に反省を求め医務室より退去して玄関左側のもとの三畳に移転するよう交渉すべきであるとの結論に達し委員(当時委員は被告人何水玉、同石嘉福、林一であつた)を通じ或いは袁愛郎と個人的に親しい人を通じ再三袁愛郎に対し勧告交渉が行われたが袁愛郎はこれを拒否して応じなかつたため昭和三五年五月二一日頃寮生会を開いて討議した結果五月二五日寮生全員で袁愛郎に対し医務室より退去して貰うよう交渉しそれに応じないときは強制執行をしようという決議が可決された。同二五日夜寮生は一階食堂に集合し更に高文華が袁愛郎に交渉を試みたが失敗したので寮生二〇人位が同夜午後九時一〇分頃右袁愛郎の居住する医務室前に出向いた。

被告人何水玉、同林伯貴、同石嘉福、文啓南、林一、周順圭、被告人林正直等約二〇人が午後九時一〇分頃袁愛郎の居住する医務室前におもむき被告人何水玉が同室をノツクしたところ予ねてこれを察知した袁愛郎はドアを約半分内側に開きフラツシユをたいて写真を撮影し、ドアを閉め左肩で押えたのであるが、フラツシユに驚いた寮生達は何だ何だと叫び乍ら押しかけ前頭に立つた被告人等はこれを開けんとして押しドアを内側に押し開き被告人何水玉、文啓南等が同室に入つたところ袁愛郎は用意した菜切庖丁を振り上げ被告人何水玉に向つて来た。被告人何水玉がとつさによけるところを文啓南が袁愛郎に組みつき被告人何水玉、被告人林伯貴、周順圭らが同人を押え同室の入口附近でもみ合い袁愛郎を押し倒したのち何水玉等は袁愛郎を同室より引づり出し同室と同室の前にある同寮ピンポンホールの中間の廊下附近に倒して被告人何水玉が袁愛郎から右庖丁をもぎとつたもので右斗争の最中に被告人等は袁愛郎に対し頭部外数ヶ所を手拳で殴打等して同人に傷害を与えたものと認められる。

ところで、このように寮生活という閉ざされた部分社会においては、条理上その生活秩序を維持するために自治の法が支配し、その目的、手段、方法において一般社会の秩序を侵害しない限りその法に則る行為は社会的に許容された所為として正当性を具えるものであることは刑法第三五条の趣旨というべきである。

これを本件についてみるに本件清華寮においては寮生がいわゆる共同炊事者側と自炊者側とに分かれて対立するという状態にあつたにせよ、少くとも双方に管理支配権があると認められる医務室を、単に自炊者側の許諾の下に擅に独占占拠した袁愛郎に対して、被告人等共同炊事者側において袁愛郎を寮外に追放するものではなく、ただ寮秩序侵犯以前の状態に復するためその明渡退去を求めて医務室の原状回復をはかる所為は、その限りにおいては、寮生活の秩序維持の範囲を出ないものであつて寮自治の法の許すところである。しかして被告人等の本件住居侵入の所為が多少乱暴であつたといつても、それはもともと共同炊事者側として被告人等は正当な手続を経て説得を前提とする実力行為を予期したにかかわらず突如袁愛郎の挑発行為に刺戟されて押し入つた上での所為でありその目的手段方法において未だ一般社会の法秩序を侵犯するほどのものとは認められない。してみれば前摘示第一の住居侵入は違法性を欠き、この点について被告人何水玉、石嘉福、林伯貴の所為は罪とならない。

又摘示第二の傷害の所為は右述のように被告人等の正当な行為に対して庖丁を振つて抵抗した袁愛郎の所為に起因するものであり、袁愛郎としては当初の意図が単に脅迫の意を出ないものであつたにせよ、被告人等としてはやむなく押し入つた狭小な部屋の入口の出来事ではあり、袁愛郎の所為は被告人等にとつて差し迫つた意外の事態というべく、突嗟に自己等の身体の危険を感じ且つは友人等の身を護るため袁愛郎を組み伏せ実力を加えるに至つたことはまことにやむを得ない所為といわねばならない。いわんや証拠の示すように袁愛郎は遂には被告人等にその刃を加えているものである。してみればその間に被告人等が袁愛郎に対して加えた判示傷害はその程度からみて正当防衛の範囲を出ないものというべきである。(なお被告人等において袁愛郎から庖丁を取り上げた後において傷害を負わせた事実を認むべき証拠はない。)それ故この点についても被告人何水玉、林伯貴の所為は罪とならない。

よつて主文のとおり判決する。

(判事 高橋幹男)

別紙

公訴事実

被告人何水玉、同石嘉福は、東京都文京区茗荷谷町五十四番地中国人学生寮清華寮に居住し、清華寮自治委員会の委員であり、被告人林伯貴、同林正直は同寮生であつたが、同寮においては、予てより共同炊事をする寮生と自炊生活者とが対立し、同寮の管理、居室の問題等につき両者相反目していたところ、偶々昭和三十五年四月下旬頃宿泊者であつた袁愛郎、同恵子が自炊生活者の組織する自治委員会責任者尤石頭の許諾を受け、自炊者として、同寮一階元医務室に居住するに至り被告人等の輸出勧告に対し、被告人等が前記居室に対する管理権限なきものとして之に応じなかつたことより実力をもつて袁愛郎等を右居室より追放せんことを企て、

第一、被告人何水玉、同石嘉福、同林伯貴は前記意図の下に外数名と共謀の上、昭和三十五年五月二十五日午后九時十分頃前記居室に故なく侵入し、

第二、被告人何水玉、同林伯貴は外数名と共謀の上、前同時刻頃より午后九時三十五分頃までの間、前記袁愛郎居室前附近廊下において同人を押し倒し口、鼻を手で圧迫し頭部、胸部等を手拳で殴打し、或は頭部、腹部等を足蹴する等の暴行を加えよつて同人に対し全治一週間を要する頭頂部打撲傷、右胸部右側胸部打撲傷右膝蓋部打撲傷の傷害を与え、

第三、被告人石嘉福、同林正直は外数名と共謀の上、前同日午后九時二十分頃前記廊下において、前記袁愛郎を救出しようとした尤石頭に対し、同人の腕を揉じあげ胸部、腹部、足部等を足蹴する等の暴行を加え、よつて同人に対し全治五日間を要する右第二肋骨中央部打撲傷、左膝蓋部打撲傷、右足関節内側打撲擦過傷、右上膊点状皮下出血の傷害を与え

たものである。

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